栄西

幼少の頃より神童と呼ばれ、14歳の時に落髪、僧としての修行に励みます。
27歳のときに初めて宋(中国)に渡り、臨済宗を学び、帰国後禅宗の布教に努めます。
その後も宋に渡り、帰国後はお茶の栽培にも積極的に取り組んだと言われています。
神農皇帝

江戸時代、お医者様や薬屋さんには、神農皇帝の像がおかれていたそうです。
今も製薬会社などにはおいてるところもあるとか。


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お茶の歴史

お茶は、「カメリア・シネンシス」というツバキ科の植物より作られます。
紅茶も緑茶も中国茶も、みんな同じお茶の木なんです。
紀元前2700年、中国の神農皇帝によって人々に伝えられました。
神農皇帝は、漢方薬と農業の神様です。
皇帝は薬草と毒草を見分けるため、1日に何十種類もの草を毒味し、その毒消しに
お茶の葉をかじったと言われています。
嗜好品としてよりむしろ「薬草」としてのお茶でした。
その後、漢の時代の「神農本草経」という世界最古の薬学書には、
お茶が人々に日常的に飲まれ始めたことが記されています。
その後唐の時代に、中国の南方で喫茶の風習が広まったようです。















日本のお茶の歴史

遣唐使が往来していた奈良・平安時代に、最澄、空海などの留学僧が、唐よりお茶の種子を持ち帰ったのが
わが国のお茶の始まりとされています。
献上品として扱われ、僧や貴族の間でもてはやされました。
鎌倉時代に、栄西が宋から日本にお茶を持ち帰り、『喫茶養生記』という、本格的なお茶に関する著を書き上げました。
栄西は禅宗の僧であったので、禅の発達とともに茶の湯という文化が武士の間で広まっていくのです。
16世紀半ば過ぎ、ポルトガル人は植民地マカオと日本との往来の中で、日本の「茶の湯文化」に接しました。
日本人が「茶の湯」という深い文化をもっていることに大変驚き、お茶がヨーロッパに広がるきっかけとなりました.。




















ヨーロッパのお茶の歴史

お茶は暑い国でしか育ちません。
シルクロードによってもたらされたお茶(中国茶)は、スパイスや、陶磁器、絹織物などとともに、
ヨーロッパの人々を夢中にさせました。
15世紀頃、大航海時代が始まり、東洋貿易がさかんになります。
当時貿易で巨大な富を得たのは、ポルトガルとオランダでした。
スペインがフランスと和平条約を結ぶと、ポルトガルはスペインと仲の悪いイギリスと同盟を結ぼうとします。
そういった政略結婚により、ポルトガルのお姫様、キャサリン・オブ・ブラザンカがチャールズ2世の元に嫁いできます。

大国ポルトガルのお姫様キャサリンは、持参金として、お茶、スパイス、砂糖
(当時は金にも相当するほど貴重な物でした)、そして、インドのボンベイをイギリスに譲渡。
このお姫様はサマーセットハウスやウインザー城でお茶会を頻繁に催します。
当時は紅茶ではなく、中国の緑茶が飲まれていました。
キャサリンによって、イギリスの貴族社会に喫茶文化が広まり、後のヴィクトリア女王へと受け継がれていくのです。


















「ザ・ファースト・ティー・ドリンキング・クイーン」と賞賛された王妃
キャサリン オブ ブラガンザ





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